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シンクロニシティ

竹内まりやさんに、シンクロニシティという曲があります。

歌詞の一部

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お互いに同じ夢 見てたなんてこと

不思議だけど 二人にはよくあるの

隣り合わせたカフェで読んでた

ノベルが同じだったあなたと

こんなふうに 恋に落ちる

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本の趣味どころか、嘘みたいな部分まで同じことが起きる。

必然の出会いで、互いに恋するのも当然、という曲。

耳で聞いていた時は、「ノベル」という言葉があまり気にならず、

何かが同じ〜くらいで聞き流していました。

先日、今さらですけれど「ノベル=小説」と気づき、若い頃の一場面が

電撃的に思い出されました。

学内に気になっている娘がいて、いつもカバーを掛けた文庫本を

手にしていました。

私も本好きで、いつも文庫本を持参して登校していました。

夏の少し前頃、ベンチで本を読んでいるとその娘が少し間を空け

隣に座りました。

「(おおっと!なに?)」と緊張が走りました。

話かけるチャンス!

何と、それよりも先に彼女から話しかけてきた。

「◯◯君は、いつも本を読んでいるね、どんなジャンルを読んでいるの?」

「えー、大体は昔の外国小説だよ。評価の定まったモノから読んでいる

感じかな。□□さんはどんなの?」

「同じかも。私は、今はサガンなの」と言ってカバーを外し、

【悲しみよこんにちは】という本の表紙を見せてくれた。

「◯◯君のも見せて。面白いなら今度貸してね」

「ウン(まずい…、今日はミステリー…しかも…)」

カバーを外して表紙を見せてという彼女の希望を断る訳にもいかず、

「今日は、ちょっと違うんだけど…」

その本は、

当時やたらはまっていた、連城三紀彦氏の【変調二人羽織】

見たとたん、「???」という顔。

「あ、そう。うんうん、よくわからない本ね」

【悲しみよこんにちは】vs【変調二人羽織】

連城氏の本のおもしろさは、絶対負けないのだけれども、

話の流れ的には、私の負け、嘘つき、見えはり。

以降、何も進展せず。

シンクロニシティならず、でした。

恋には、ノベル趣味も少し関係がある時があります。

【悲しみよこんにちは】だった訳です。

シンクロニシティ 連城三紀彦 サガン 悲しみよこんにちは

ヒューマンエラー防止と指差呼称

旧国鉄で始まったという指差呼称…。

鉄道以外でも、工場での製品製造や建設などの各種作業では、

重要なヒューマンエラー防止対策です。

この有効性を何ら否定するものではありません。

対象物を指差し、大きな声を出すと、確認をしっかり行えるのは、

自分自身も経験済みです。


医療業界では、ミスは許されませんから、

ヒューマンエラー防止の為に積極的に取り入れる動きも

あるようです。

実際にはまだ見たことはありませんが、あれだけ多くの点滴液や

薬、処置作業をテキパキと何人もの患者さんに行って

いくのですから、指差呼称はミス防止に有効なルーティンだと

心底思います。


でも、でもですよ。

自分が入院して、看護師さんが、点滴液を指差呼称で、

「抗ガン剤 ◯◯ 点滴ヨシ!」とか

「患部癒着状態悪化確認 ヨシ!」とか

やられるのはイヤだなぁ。

時と場合が…。

指差呼称 ヒューマンエラー 医療

境い目

子供の頃自分は、運動会嫌い、学習発表会嫌い、遠足嫌い、

団体行動嫌いな子供だった。

社会性に乏しい、いわば「小さな大人」。


大人になって、キャンプ好き、皆で行く旅行好き、

コンパ好き、おもちゃ好きの大人になった。

一人で遊べない、いわば「大きな子供」。


いつから変わったのだろう?と考えてみると、

大学の卒業(→就職)からだった。

しょうもない境い目だ。

子供 大人 卒業
以前は自身が美味しいと思うコーヒー豆だけで淹れていた。
昨年から、写真の豆を買うようになった。
美味しいと思う。
もう閉店してしまったが、札幌西高近くにリヒト珈琲という豆売専門店があり、言葉に出来ないくらい美味しかった。変わった親父さんだった。
豆の種類を表示していた頃から買っていたが、ある日から豆の名前が消えた。店の焙煎品を2〜3種にほぼ統一してしまった。
「これは何の豆ですか?」
「…一応○○です」
「これは、モカですか?」
「…ハイ」
「以前こちらでモカハラーを買ったのですが、それに近いです...

以前は自身が美味しいと思うコーヒー豆だけで淹れていた。
昨年から、写真の豆を買うようになった。

美味しいと思う。

もう閉店してしまったが、札幌西高近くにリヒト珈琲という豆売専門店があり、言葉に出来ないくらい美味しかった。変わった親父さんだった。
豆の種類を表示していた頃から買っていたが、ある日から豆の名前が消えた。店の焙煎品を2〜3種にほぼ統一してしまった。

「これは何の豆ですか?」
「…一応○○です」

「これは、モカですか?」
「…ハイ」

「以前こちらでモカハラーを買ったのですが、それに近いですか?」
「…味の感じ方はそれぞれですので」

「以前のこちらのモカハラーに近い味のが欲しいのですが」
「…以前のはございません。あと、味の説明もいたしません」


コーヒーの味は、豆の違いより焙煎の腕次第ということ。
自分の好みのコーヒー豆は、自分で選べということ。

その豆は、
豆の大きさ、焙煎色が見事に揃っていた。
割れた豆などは、探しても無かった。
焙煎前・後で、ハンドピッキングで豆を選別していた。
その廃棄豆は、1割を軽く超えていたはずである。

ロト中の挽いた豆は、最初の注湯でこちらの笑みがこぼれるくらい膨らんだ。

とても香り高く 、トロリとした美味しいコーヒーだった。
吉祥寺の喫茶店「もか」もこういう味だった。

こんな親父さんでも、多少舌が回る時がある。
「美味しいコーヒーが飲みたかったら、いつもの1.5倍豆を使って淹れてください。皆さん豆が少ないのです」

リヒト珈琲が閉店してから、コーヒーへの自分の興味は無くなった。
スーパーで挽いてあるパック粉を買った。次に豆のパックを買うようになった。

昨年から、また豆専門店で買うようになった。
自分で挽いて、ペーパーで淹れて、美味しいと思う。

山川直人氏の漫画のお陰も少しはありそう…。

コーヒーを飲むと、若い頃、狭い部屋でミルをゴリゴリ回していた知人を思い出す。お金も何も無いのに、なぜか本格的なコーヒーを飲むことだけには気取っていた、最後まで好きになれなかった奴。

でも、それが豆で淹れたコーヒーの最初の美味しさだった。
あんな奴に影響を受けたなんて、少し面白くない…。

リヒト珈琲 吉祥寺 もか ドリップコーヒー 山川直人