



海側から見ると嚴嶋神社、社殿側から見ると伊都岐島神社…。
知らなかった。鳥居の向こう側から写真を撮るには、
日を選ぶし…、あまり来れないし…。
この大鳥居、「厳島神社 鳥居」で検索すると、
知らないことばかり。
旅は楽し!




海側から見ると嚴嶋神社、社殿側から見ると伊都岐島神社…。
知らなかった。鳥居の向こう側から写真を撮るには、
日を選ぶし…、あまり来れないし…。
この大鳥居、「厳島神社 鳥居」で検索すると、
知らないことばかり。
旅は楽し!
竹内まりやさんに、シンクロニシティという曲があります。
歌詞の一部
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お互いに同じ夢 見てたなんてこと
不思議だけど 二人にはよくあるの
隣り合わせたカフェで読んでた
ノベルが同じだったあなたと
こんなふうに 恋に落ちる
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
本の趣味どころか、嘘みたいな部分まで同じことが起きる。
必然の出会いで、互いに恋するのも当然、という曲。
耳で聞いていた時は、「ノベル」という言葉があまり気にならず、
何かが同じ〜くらいで聞き流していました。
先日、今さらですけれど「ノベル=小説」と気づき、若い頃の一場面が
電撃的に思い出されました。
学内に気になっている娘がいて、いつもカバーを掛けた文庫本を
手にしていました。
私も本好きで、いつも文庫本を持参して登校していました。
夏の少し前頃、ベンチで本を読んでいるとその娘が少し間を空け
隣に座りました。
「(おおっと!なに?)」と緊張が走りました。
話かけるチャンス!
何と、それよりも先に彼女から話しかけてきた。
「◯◯君は、いつも本を読んでいるね、どんなジャンルを読んでいるの?」
「えー、大体は昔の外国小説だよ。評価の定まったモノから読んでいる
感じかな。□□さんはどんなの?」
「同じかも。私は、今はサガンなの」と言ってカバーを外し、
【悲しみよこんにちは】という本の表紙を見せてくれた。
「◯◯君のも見せて。面白いなら今度貸してね」
「ウン(まずい…、今日はミステリー…しかも…)」
カバーを外して表紙を見せてという彼女の希望を断る訳にもいかず、
「今日は、ちょっと違うんだけど…」
その本は、
当時やたらはまっていた、連城三紀彦氏の【変調二人羽織】
見たとたん、「???」という顔。
「あ、そう。うんうん、よくわからない本ね」
【悲しみよこんにちは】vs【変調二人羽織】
連城氏の本のおもしろさは、絶対負けないのだけれども、
話の流れ的には、私の負け、嘘つき、見えはり。
以降、何も進展せず。
シンクロニシティならず、でした。
恋には、ノベル趣味も少し関係がある時があります。
【悲しみよこんにちは】だった訳です。
散歩、好天。
天気が良いと、全ての色が目に鮮やか。










旧国鉄で始まったという指差呼称…。
鉄道以外でも、工場での製品製造や建設などの各種作業では、
重要なヒューマンエラー防止対策です。
この有効性を何ら否定するものではありません。
対象物を指差し、大きな声を出すと、確認をしっかり行えるのは、
自分自身も経験済みです。
医療業界では、ミスは許されませんから、
ヒューマンエラー防止の為に積極的に取り入れる動きも
あるようです。
実際にはまだ見たことはありませんが、あれだけ多くの点滴液や
薬、処置作業をテキパキと何人もの患者さんに行って
いくのですから、指差呼称はミス防止に有効なルーティンだと
心底思います。
でも、でもですよ。
自分が入院して、看護師さんが、点滴液を指差呼称で、
「抗ガン剤 ◯◯ 点滴ヨシ!」とか
「患部癒着状態悪化確認 ヨシ!」とか
やられるのはイヤだなぁ。
時と場合が…。
子供の頃自分は、運動会嫌い、学習発表会嫌い、遠足嫌い、
団体行動嫌いな子供だった。
社会性に乏しい、いわば「小さな大人」。
大人になって、キャンプ好き、皆で行く旅行好き、
コンパ好き、おもちゃ好きの大人になった。
一人で遊べない、いわば「大きな子供」。
いつから変わったのだろう?と考えてみると、
大学の卒業(→就職)からだった。
しょうもない境い目だ。
街歩き中、偶然ここに来た。
ここの生徒だったんだ。
偶然に深く感謝。
知らずに通りすぎなくて本当に良かった。
今年の桜は、天気に恵まれなかった。
夕方、ほんの合間の青空じゃあ、映えない…。
また、来年…。
以前は自身が美味しいと思うコーヒー豆だけで淹れていた。
昨年から、写真の豆を買うようになった。
美味しいと思う。
もう閉店してしまったが、札幌西高近くにリヒト珈琲という豆売専門店があり、言葉に出来ないくらい美味しかった。変わった親父さんだった。
豆の種類を表示していた頃から買っていたが、ある日から豆の名前が消えた。店の焙煎品を2〜3種にほぼ統一してしまった。
「これは何の豆ですか?」
「…一応○○です」
「これは、モカですか?」
「…ハイ」
「以前こちらでモカハラーを買ったのですが、それに近いですか?」
「…味の感じ方はそれぞれですので」
「以前のこちらのモカハラーに近い味のが欲しいのですが」
「…以前のはございません。あと、味の説明もいたしません」
コーヒーの味は、豆の違いより焙煎の腕次第ということ。
自分の好みのコーヒー豆は、自分で選べということ。
その豆は、
豆の大きさ、焙煎色が見事に揃っていた。
割れた豆などは、探しても無かった。
焙煎前・後で、ハンドピッキングで豆を選別していた。
その廃棄豆は、1割を軽く超えていたはずである。
ロト中の挽いた豆は、最初の注湯でこちらの笑みがこぼれるくらい膨らんだ。
とても香り高く 、トロリとした美味しいコーヒーだった。
吉祥寺の喫茶店「もか」もこういう味だった。
こんな親父さんでも、多少舌が回る時がある。
「美味しいコーヒーが飲みたかったら、いつもの1.5倍豆を使って淹れてください。皆さん豆が少ないのです」
リヒト珈琲が閉店してから、コーヒーへの自分の興味は無くなった。
スーパーで挽いてあるパック粉を買った。次に豆のパックを買うようになった。
昨年から、また豆専門店で買うようになった。
自分で挽いて、ペーパーで淹れて、美味しいと思う。
山川直人氏の漫画のお陰も少しはありそう…。
コーヒーを飲むと、若い頃、狭い部屋でミルをゴリゴリ回していた知人を思い出す。お金も何も無いのに、なぜか本格的なコーヒーを飲むことだけには気取っていた、最後まで好きになれなかった奴。
でも、それが豆で淹れたコーヒーの最初の美味しさだった。
あんな奴に影響を受けたなんて、少し面白くない…。
「政府は閣議で、天皇陛下の退位日を2019年4月30日と定める政令を決定した」
退位日 平成31年4月30日と、なぜ言わないのでしょう?
微妙に気になりますね、こういうことって。